1.学区の概要(地理的特徴、世帯数、人口など)
近江八幡市の東南地先に位置し、東近江市に接した、繖山(きぬがさやま)、箕作山(みつくりやま)山麓の三方を山に囲まれた歴史と自然豊かな田園地帯です。
集落は、山麓沿いや田園部、また旧中山道沿いに形成されています。
国道8号線、東海道新幹線が並行して地域を横断し、それに沿って創業された工業地帯と、先進的に集落営農を営む優良農地区域が共存しています。
平成の始めには、住宅地が開発され、新旧の住民で構成される融和のまちづくりを目指しています。また、大規模ないちごハウス栽培と養鶏が盛んで、いちご狩りやいちご、鶏卵の直売なども行われています。
老蘇は、伝説によると、今から、約2300年前、この地は地裂け水が湧き人の住めるところではありませんでしたが、石部大連(いしべのおおむらじ)という翁(おきな)が、松、杉、檜の苗を植え、神々に祈願したところ、たちまちに大森林となり、人々が住みつき、石辺大連は百数十年年齢を重ねても活躍され、翁を称えて「老(おい)が蘇(よみがえ)る」の意で「老蘇(おいそ)」と呼んだと言われています。
老蘇学区は令和7年4月1日現在、面積約9㎢ 人口約2,525人 1,011世帯 高齢化率29.1% 7自治会で形成されています。
自治会内訳
東老蘇 338人 132世帯 高齢化率 33.1%
西老蘇 876人 338世帯 高齢化率 19.6%
石寺 338人 139世帯 高齢化率 38.2%
内野 376人 156世帯 高齢化率 46.8%
老蘇台 206人 88世帯 高齢化率 32.0%
老蘇団地 91人 40世帯 高齢化率 25.3%
老蘇ニュータウン 300人 118世帯 高齢化率 19.3%
教育施設
老蘇小学校
老蘇こども園
老蘇学童保育所スマイル
医療
杉原医院
マナベ歯科医院
老蘇薬局
福祉施設
いっぷく老蘇庵
住倉安土元気園
特産品
たまご いちご 花 ネギ レンコン
工業団地(国道8号沿線一帯)
(株)吉野工業所
(株)ロッテ
三菱ロジスネクスト(株)
2.福祉活動・地域活動の紹介(主な活動、団体、特色ある取り組みなど)
〇交流事業
(1)スポーツ交流事業
高齢者グラウンドゴルフ大会
(2)敬老の祝事業
各自治会で創意工夫により実施
(3)声掛け・訪問事業 民生児童委員・福祉協力員を中心に実施
①高齢者訪問活動(75歳以上の夫婦・1人暮らしなど)
6月,9月,12月,3月に各自治会見守り支えあい活動団体で実施
②歳末助け合い活動(75歳以上世帯・一人暮らし訪問)
③幼児の家庭訪問活動(三歳児未満)
(4)サロン活動事業
(5)おむすび食堂事業 毎月第4水曜日を基本に開催(時期により変更)
〇福祉推進事業
(1)0~100ひろば…0歳から100歳までを対象として「健康」をテーマに実施
(2)歳末お掃除隊派遣事業(75歳以上の高齢者世帯を対象の希望世帯)
〇福祉活動助成事業…地域の福祉活動に対する助成
(1)福祉団体等活動助成
(2)見守り支えあい活動助成
(3)自治会ふれあい交流活動助成
〇「ふくし活動計画」推進事業…活動計画に基づく事業の推進
(1)見守り支えあい推進会議(自治会長・民生委員児童委員・福祉協力員等)
年3回実施 各地域で実施の見守り活動の情報交換
(2)企業訪問…災害時などに企業との連携を目指すため、日頃のつながりを深める
(3)安寧のまちづくり推進委員会(YOISYO)の活動との連携
①移動支援部会
②交流部会
〇啓発事業 地域住民との協働・共助を図るための啓発活動
(1)会費の協力依頼
(2)協力金の協力依頼…企業・個人様の賛同者を訪問し、協力を依頼
(3)社協だより 月1回
(4)赤い羽根共同募金活動
〇関係団体等連携事業
(1)近江八幡市社会福祉協議会との連携
(2)福祉関係の表彰(市長表彰・市社協表彰)
(3)青少年育成会議との連携
・あいさつ運動に参画
毎月1日、15日を基本に老蘇小学校前、安土中学校前で朝の挨拶運動
・安土中学校、老蘇小学校、老蘇子ども園の卒業式・入学式に列席
(4)お米のお福分け
ご寄贈頂いたお米のおすそ分け
〇研修会等
理事研修 福祉協力員研修
3.学区社協の組織構成や主な団体等(福祉委員会、自治会、民生委員等の構成など)
老蘇学区社会福祉協議会の概要
地域と密接な関係があり、こまやかな取り組みの推進を図る団体で、近江八幡市社会福祉協議会と連
携し、福祉活動を行う任意の福祉団体
会則を定め(令和4年4月1日)福祉活動を推進
〇目的
地域住民の協働・共助の力で、地域福祉活動を推進
1.社会福祉活動の推進
2.地域住民の福祉意識の高揚
3.各自治会における福祉活動の支援
4.社会福祉に関係のある団体の連絡調整及び連携
5.その他、本会目的達成のため必要な事項
〇会員
老蘇学区に居住する住民
地区内を活動範囲とする各団体
地区内の事務所、事業所
〇経費
会費・寄付金・助成金・その他
〇役員
理事(若干名:現在17名)福祉に関係のある団体の代表者・知識経験者
監事(2名)評議員の中から選出
評議員(40名以内:現在30名)各自治会長(7名)・各民生委員児童委員(7名)
・各福祉協力員(12名)・各小、中、園の長(4名)・知識経験者
顧問・相談役(若干名:現在2名)置くことができる
〇会議
総会・理事会・役員会・その他
〇ふくし活動計画(令和6年度~令和10年度)にもとづく推進
基本理念
育もう いつまでも住み続けたい 「老いて 心ますます 蘇る郷」
基本目標
1.「声かけ」をしましょう
2.「つどいの場」づくりを進めましょう
3.「地域の宝」を活かしましょう
4.「防災意識」を高めましょう
5.「学校・園・施設・企業等」とのつながりを深めましょう
〇主な団体
特別支援教育振興会老蘇学区
老蘇学区自治連合会
老蘇学区まちづくり協議会
老蘇学区民生児童委員協議会
老蘇青少年育成会議
老蘇学区少年補導委員会
福祉協力員
友愛クラブ
安土赤十字奉仕団老蘇学区
健康推進協議会老蘇学区
安土すまいるの会老蘇学区
4.地域の魅力や伝統行事など(住民のつながりや特色ある文化など)
老蘇よもやま案内
〇江戸時代の五街道の一つ「中山道」
江戸・日本橋を起点として京都に至る街道です。古代における畿内と東の内陸部をつなぐ東山道を改良したもので、比較的険しい山道が多い一方、東海道のように川越えなど水による困難がほとんどないため、女性の道中に好まれ、姫街道とも言われています。また将軍吉宗の時代には、ベトナムから来た象が通ったとの記録もあります。近江八幡市内では、老蘇・武佐・馬淵学区を通っており、古くからの街道として、今でも古い家並みや石の道標がその名残をとどめています。
〇日本の100名城・中世の5大山城「観音寺城跡(国指定史跡)
標高433mの繖山の山頂から南山麓にかけて多数の廓が広がる大城郭で、多くの石垣が残る「中世の5大山城」の一つに数えられています。16世紀中頃に近江の守護大名・佐々木六角氏の居城として整備されました。石垣を多用した山城の館では蓮歌の宴を催すなど、単に戦時の詰所だけでなく、風雅な場であったとされ、当時の山城としては他に例を見ない特徴を持っていました。
〇西国三十三所霊場「観音正寺」
西国33所の32番目の札所で、今も多くの尊崇を集め、参拝者が訪れています。寺伝によると聖徳太子がこの地に来臨された時、紫雲たなびく山を見られ「これぞ霊山なり」おぼしめ、太子自ら千手観音を刻み、堂塔を建立されたのが縁起とされています。兵乱で山麓に移った堂塔も、織田信長の時代には再び山上の地に営まれることになりました。
〇石の寺「教林坊」と小堀遠州作の庭園(市指定建造物・名勝)
聖徳太子により推古13年(605年)に開かれたと伝わり、寺名の「教林」は太子が境内の林の中で教えを説かれたことに由来しています。「太子の説法岩」と伝えられる大きな岩と太子自作の石仏「赤川観音」を祀る霊屈があります。また、書院に面する庭は、小堀遠州作といわれる桃山時代を代表する池泉回遊式の名勝庭園です。秋の紅葉の時期には境内全域がライトアップされます。
〇「安産の神様」奥石神社と老蘇の森(国指定重要文化財建造物・史跡)
老蘇の森は、平安時代から和歌などに詠まれた場所として知られ、室町時代の太田道灌や江戸時代の本居宣長の歌碑も建てられています。国指定の史跡で、往時は現在の数倍の大森林でした。老蘇の森の中にある奥石神社は、延喜式の神明帳に記され延長5年(927年)以前にさかのぼる歴史があります。天正9年(1581年)に織田信長の命で再建されたとされる本社殿は檜茅葺をもつ国指定の重要文化財の建物で、その他多くの指定文化財があります。安産の神様と言われ、今も安産祈願やお宮参りなど多くの参拝があります。
〇杉原家庭園「緑苔園」(りょくたいえん)(県指定名勝)
庭師として有名な長浜の勝元宋益の作で、号を「鈍穴(どんけつ)」と称したため、鈍穴の庭と呼ばれ親しまれています。回遊式枯山水で江戸時代末期に作られ、14代将軍徳川家茂が休息するときに増築したとする風呂と便所も現存しています。園内の立石に刻まれた「帰緑苔」から「緑苔園」の由来となっています。普段は非公開となっています。
〇史上初の楽市「石寺楽市」
織田信長が活躍した時代に先行する天文18年(1549年)、近江の守護大名・佐々木六角氏の奉公人が発行した文章に「紙商売の事、石寺新市の義、楽市たる条、是非に及ばず」とする史料が残っており、この史料から現在の東老蘇の地にわが国最初の楽市があったとされています。
〇東光寺と建部伝内
もともと清水鼻(現・東近江市五個荘町)にあった佐々木六角氏ゆかりの寺院で、佐々木六角氏滅亡後、現在の東光寺が寺号と本尊を譲り受けたと伝えられています。本堂に阿弥陀如来像(平安時代後期の作)が安置され、また境内には佐々木六角氏・豊臣秀吉に仕えた右筆(ゆうひつ)・建部伝内の像が安置された伝内堂があります。
〇地元の詩人 井上多喜三郎氏
詩人・多喜三郎の詩碑が、母校である老蘇小学校の一隅、中山道に面して建てられています。近江の地における詩碑1号で、堀口大学、草野一郎平などと多くの著名人が参加した除幕式が行われました。50有余年の年月を数えた詩碑「私は話したい」には、老蘇の生まれ、老蘇に育ち、老蘇でうたった詩人・多喜三郎が今も純粋に語りかけているような気がします。
〇伝統文化と行事「勧請縄(かんじょうなわ)」
近江の守護大名・佐々木六角氏の時代に発達した自治組織「惣村(そうむら)」の影響は、現代の暮らしの中にも強く残されています。年の初めには、集落内に邪悪なものが入り込まないようにと「勧請縄」が掲げられます。老蘇近隣に色濃く残された伝統・文化行事で、毎年1月8日の西老蘇の魔邪羅講(マジャラコ)が有名です。
〇山頂の巨石に刻まれた摩崖仏「十三仏」
飛鳥時代、聖徳太子がこの山の南裏に瓦屋寺(かわやじ)を建てられた時、岩戸山に金色の光を発する不思議な岩を見つけ、太子自ら爪で13体の仏を刻まれたといわれています。今も信仰をあつめ近県からの参拝も多く、毎年4月24日に近い日曜日に千日会が営まれ開帳されます。
〇小さな土人形が千体安置された轟地蔵と福生寺
福生寺は、天正16年(1588年)に開基された浄土宗寺院で、阿弥陀三尊が安置され中尊の阿弥陀如来像は慶派の作風で市指定文化財になっています。現在の本堂は江戸時代中期に根来陣屋の書院を移築したものと伝えられています。鉄砲で有名な旗本根来家は江戸初期(1698年)愛知郡、野洲郡一帯を拝領され、中間に位置する東老蘇に陣屋が設置され、代官所をおいたとされています。
中山道轟橋たもとにあった地蔵堂が、明治時代に橋の改修で、福生寺境内に移築されました。轟地蔵は約千体の青色や朱色で着色された小さな土人形(小幡人形)が安置されています。















